カフェ/コーヒー

コーヒーカップに溢れる想い出 〜僕がコーヒーを好きになった日〜

くろしゅん
くろしゅん
前回の記事では、「コーヒーの歴史や起源についての話」をご紹介させていただきました。

今回は少し自分ごとになってしまいますが、僕がコーヒーを好きになった日についてお話しできればと思います。あの時にほろ苦くも、心の温まったその感情を思い出しながら綴ります。

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皆さんはコーヒーが好きですか?

  • もしお好きな人がいれば、お気に入りのコーヒーショップはありますか?
  • もし嫌いな人がいれば、なぜコーヒーが嫌いですか?

僕は昔コーヒーが大の苦手で、だからこそ眠気覚ましに利用していました。

 

しかしある日、一杯のカップに注がれたコーヒーが、僕の認識を大きく変えました。

しばしの時間、僕のコーヒーカップに溢れる想いと出会いに、目を傾けていただけたら幸いです。

 

コーヒーが「目を覚ますための苦い飲み物」だった頃

高校生の頃の僕は、おそらくカフェイン中毒者だった気がします。

勉強が苦手で嫌いだったのに、厳しい高校に入ってしまったため毎日のようにコーヒーを眠気覚ましに飲んでいました。

一日3〜5杯は飲むため、コーヒーがない生活は考えられなくて、でも決してコーヒーが好きなわけでもその味を楽しむわけでもありませんでした。むしろいつも「苦いなぁ」「まずいなぁ」そんな風に感じていたんです。

 

大学1年生になっても、コーヒーに対する見方は変わることはなく、レポートや作業で眠い時はコーヒーを片手に眠気と戦っていました。

そんな僕が、初めてコーヒーを「おいしい」と思って味わったのは大学二年生の冬でした。

 

”コーヒー”との出会いは、トルコだった

大学2年生の春休みに東南アジアを一人旅して以来、旅にハマってしまい、冬休みの期間を使ってトルコや中央アジアを訪れた時にことです。

トルコを旅する中で一杯のコーヒーに出会うことになり、そこから僕のコーヒー愛が始まりました。

 

旅先で淹れてもらった一杯のコーヒー

それまで順調に旅をしてきたはずだったのですが、トルコの首都イスタンブールに到着した2日目に、事件は起きたのです。

イスタンブールの観光名所として有名で、世界で最も美しいモスクと称される「ブルーモスク」へ訪れた際に仲良くなった現地の人を起点に詐欺に巻き込まれてしまいました。

幸いなことに途中で異変に気付き、連れ込まれていた旅行代理店から脱出して怪我もなく宿へ帰ることができたのですが、物理的なダメージよりも精神的なショックの方が大きかったのを今でも覚えています。

 

仲良くなったと思い込んで半日間も一緒だった彼が、実は詐欺グループの一員で最初から騙されていたと知った時は、なんとも言えない悲しみに苛まれました。

宿で1人落ち混んでいると、泣きながら2人の日本人ゲストが帰ってきました。彼らも違う種類の詐欺に遭ってしまったそうで、なんと手持ちの金額とクレジットカードの限度額合計30万円を盗まれてしまったようです。

彼らも大学生で旅行初日だったみたいで、結局事件のせいで予定を全て取りやめて翌日には帰国することに…

この日は、前日よりも空気が寒く感じられた気がします。

 

そんな僕らを見て、ゲストハウス(宿)のオーナーは涙をこらえた顔で

「せっかくトルコに来てくれたのに、同じトルコ人が…ごめんね。

私は何もしてあげられないけれど、精一杯の想いを込めてトルココーヒーを淹れたよ。

みんなで飲みましょう。」

そう言って丁寧に淹れたトルココーヒーを、一人一人に注いでくれました。

淹れてくれた熱々のコーヒーをすすりながら、僕は思わずつぶやきました

「美味しい」と。

 

トルココーヒーに旅をさせられた僕

初めて口にしたトルココーヒーは、ほろ苦くも感じたけれどそれ以上に包み込むような優しさも感じられて、あっという間に僕はコーヒーの世界へと引き込まれてしまっていました。

トルコ自体も観光では色々調べていたのですが、コーヒーのスタイルが特殊だということが気になり「トルコ料理」にも興味が湧いてきて、僕のトルコ旅は当初の計画よりも多様なものになりました。

トルココーヒーは、なんとなくトルコに立ち寄った僕を新たな興味や場所へと旅させてくれたのです。

「トルココーヒー」とは?

「ターキッシュコーヒー」と呼ばれることもあって、トルコで伝統的に飲まれている特殊なスタイルのコーヒーを指します。

小柄な鍋でコーヒー粉を煮詰めてその上澄みだけを飲む、エスプレッソのように濃縮されたコーヒーです。

 

コーヒーでなくても良かったのかもしれない

たまに考えるんです。

「もしあの時ゲストハウスのオーナーが淹れてくれたのが、コーヒーでなくて紅茶だったとしたら…」なんて。

でもきっとコーヒーじゃなかったとしても僕は、愛情のこもったその何かを大事に大事に受け取ったに違いありません。そう考えると、極論コーヒーじゃなくても良かったのかもしれませんね。

それでも僕はあの時、トルココーヒーをいただいて大事に味わった。

これは紛れもない事実でありますし、偶然ではあるけれど僕はそこにロマンを感じたのかもしれません。

 

この体験から1つ言えることは、

「気持ちを込めて作ったものは、特別な味がするということ」だと思います。

 

 

今度は自分が「優しさを込めたコーヒー」を作りたくて

僕が初めてコーヒーを美味しいと思ったその日から、もっといろんなコーヒーを味わいたくて世界中のスタイルのコーヒーを今でも探し求めています。

毎日3〜5杯は飲まないとしても、一滴を味わうようにコーヒーを飲むようになりました。

 

本当に何気ない体験談ではありますが、僕にとっては今でも鮮明に覚えていたい大事な一瞬なんです。今でも自分がカフェに立つ時は「今度は自分が優しさをたっぷり込めたコーヒーを提供したい」と思ってコーヒーを淹れています。

コーヒーでなくてもたくさんの優しさを注いでいますが、コーヒーを淹れる時はやっぱり1番想いが溢れちゃうのは否めません。コーヒーカップから溢れるほどの想い出が、今日も僕のコーヒー欲を駆り立てるのです。