カフェ/コーヒー

【第2章】カフェに恋して。エチオピアのコーヒーセレモニーを味わいに! – 『種まきレポート』

くろしゅん
くろしゅん
前回の記事では、なぜ僕が「カフェ」を好きになったのかお話しさせていたていただきました。今回は、「カフェを開こう!」と決意を固めたエチオピアでの出来事を紹介させていただきます!

世界には面白いカフェ文化があるらしい!?

論文を書くにあたって、いろいろな文献やネット情報を見て、世界にあるカフェ文化の多様性に驚きました。

昔から日本のカフェには興味があって、気になるカフェを巡っていたのですが、知れば知るほど日本だけでなく海外のカフェ文化にも触れてみたくなってきて。「やりたいなら今すぐ行動!」と自分に言い聞かせ、世界各地のカフェ文化に触れるために世界一周の旅に出ました。

旅をしていく中で、特に興味深いと思った世界のカフェ文化を2つだけ紹介したいと思います。

くろしゅん
くろしゅん
他にも紹介したいカフェは山ほどあるんですけどね♪(笑)語り過ぎそうなので2つだけ選びました。一番話したいエチオピアのカフェ文化は、次の項目で詳しくご紹介します!

 

ヨーロッパの芸術を支えたイタリアのカフェ

とっても楽しみにしていた、カフェ巡りヨーロッパ編!北欧のカフェや、フランスのカフェなど行きたい場所がたくさんあったからです。

そんな中、イタリアを旅した時に訪れたローマ最古のカフェ「グレコ」!

イタリアでは、カフェ(コーヒー)が人々の生活に根付いていて、人よっては1日に何十杯も飲む人もいるそうです。つまり、イタリア人にとってカフェとは必要不可欠なもので生活の一部のような位置づけだとか。(※もちろん個人差はあります。)

ローマの老舗カフェ「グレコ」では昔、ゲーテ、アンデルセン、ワーグナーなど名だたる芸術家たちがこのカフェを訪れ、芸術について語り合ってたそうです。それもあってか、店内には絵画などの芸術作品が並んでいます。

カフェグレコは、まさにヨーロッパの芸術を支えたカフェの一つと言えるのではないでしょうか。

 

戦争の歴史を物語るベトナムのエッグコーヒー

皆さんは、「エッグコーヒー」って知っていますか?

名前の通り卵(卵黄)をベトナムコーヒーに混ぜたもので、とろりと甘い独特な味がします。ちなみにですが、現地でも同じ意味のCà phê trúng(カフェ・チュン)と呼ばれ多くのベトナム人に親しまれているようです。

 

でもなんで卵を混ぜるという発想になったのでしょう!?実はこれには歴史的な背景があるのです。

1946年太平洋戦争が終わった後すぐに、第一次インドシナ戦争へと突入したベトナム。この時代のベトナム首都ハノイでは牛乳の入手が戦争のため難しくって、その代わりに泡立てた鶏卵の黄身部分を使ったそうです。そのスタイルがベトナム社会に浸透していて、現在でも名物として残っています。

エッグコーヒーに出会った時は見た目や味にも驚きましたが、それ以上にこの一つのドリンクに込められた背景に関心が湧きました。カフェではないのですが、ベトナムのカフェを彩る一つのスタイルとしのエッグコーヒーとの出会いは、僕にとって素敵な瞬間だったのです。

 

 

エチオピアの文化をつなぐ「コーヒーセレモニー」に触れて

エチオピアのコーヒーセレモニーの魅力

コーヒーの発祥地はどこなのかについてはいくつかの説がありますが、エチオピアはかなり有力です。それくらいエチオピアでは昔からコーヒーを飲む文化が根付います。

それもあってか日本でいう茶道のように、「コーヒーセレモニー」という伝統的な独自のカフェ文化がエチオピアには存在するんです。駐日エチオピア大使も、以下のように語っていました。

エチオピアにはコーヒーと共に生きてきた長い歴史と独特の文化があります。その代表的なものがコーヒーセレモニーです。お客様の前で生豆を入り、淹れ立てのコーヒーを飲みながら語り合う。日本の茶道にも通ずる私たちの伝統的なもてなしです。

世界のコーヒー事情「在日大使のコーヒーブレイク」日本コーヒー協会HPより引用

 

コーヒーセレモニーはエチオピア人にとって、相手を尊敬したり、友好関係を示す重要な行事なのです。コーヒーを片手に、政治のことから何でもない世間話まで、様々な話題を交わしながら交流をします。

 

基本的には主婦をしている女性が、1日に2回〜3回コーヒーセレモニーの準備をします。僕が訪れた地域では、子どもが豆を焙煎して、お母さんがその豆を挽いて入れて、お父さんがカップを用意していました。朝や夜に家族でコーヒーを飲むためにだけでなく、更に家にお客さんが来た際や何かの記念日にもコーヒーセレモニーの準備をするようです。

家族でコーヒーを淹れ、朝と夜に団欒をするというその行為自体に魅力を感じたし、このようにして地域の人同士や家族同士のコミュニティを大事に受け継いでいっているんだなと納得しました。

 

実際のところ、エチオピアの街を歩いていると「今コーヒーセレモニーしてるから、家に寄って行きなさい!」なんて言われて一般の家庭に招かれたりも。見ず知らずの僕に声をかけてくれ、一緒に家族みんなで飲んだあのコーヒーと空間の温かさは今でも忘れられません。

 

「カフェをつくろう!」と決意したアフリカでの夜

アフリカで「カフェ文化」を体感しながら、僕はカフェの多様性や今後の可能性に思いをはせるようになりました。

旅も終盤に差し迫ってきて、「帰ったら何をしよう?」と熱い夜に布団にくるまって考えていました。その時に思ったんです、「自分の住んでいる都留市にはあまりカフェがないなぁ…」と。

僕は世界一周前に、とある一般家庭に下宿した経験があって、その時僕は地域の人とつながる楽しさを味わいました。「もっと地域の人とつながる生活を、大学一年生の時からしていたかったなぁ」という思いを抱くようになり、「学生と一般の人」がつながることのできるカフェをつくれないかなと発想しました。

エチオピアのコーヒーセレモニーのような、多様な人が自然と集まって、他愛のない会話ができる空間があったらいいなって思ったんです。

 

そしてついに、「ないなら、自分で作ればいい!」そんな精神で、カフェ創設を決意しました。

あの時のワクワクは今でも忘れられません。0から何かを作っていく経験が、自分にはそれまでなかったからです。未知の世界へ飛び込む怖さと、それに伴うワクワクが僕の心を震わせました。

 

言葉にしたその日から、カフェ創設の物語は始まった

「やる!」と決めたはいいものの、まず何から始めたらいいのかわからなかったので、とりあえず言葉にして発信することから始めていきました。

当時たまにしか更新していなかったtwitterで「カフェをしたい!」そんな風に流したら、多くの人がLINEやDMで連絡くれて、気がついたら「一緒にカフェつくろう!」って一つのチームができていました。

 

僕はアフリカのかなり弱小なwifiを駆使して、ツイッターで繋がった仲間とともに、毎晩のようにカフェ構想を固めていきました。(ヒルトンのカフェにしかちゃんとしたwifiがなくて、それを使うためだけに一番安いメニューの水を頼んで、粘っていたのは良い思い出。笑)

 

しかし、考えたり調べたりすればするほど、自分たちに足りないものばかりだと言うことに気づきました。

でも同時に、「足りなくてもやってやる!」という強い思いと、「どうしたらできるか?」というある種の高揚感を抱きました。

悩みに悩んだ末、一つの答えにたどり着いたのです!!!

僕たちが考えた作戦は…

[ 次回へ続く ]