“誰かに”認められるではなくて、”自分が”認めてあげる。

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こんばんは、只今時計は4:00am。

さっきまで仲間と飲んでいて、いろいろ話して帰って来たらなかなか寝付けず今に至ります。最近思ったこと、「認めるってなんだろう?」「認められるってなんだろう?」について書きます。

 

”認める” ”認められる”ってなんだろう?

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人は多かれ少なかれ「誰かに認められたい。」という感情があると思います。でもそもそもその”認められる”ってなんだろう?そんな風に、僕は大学生になってからやっと考え始めました。必死に自分の想いをぶつけてもなかなか親に理解してもらえない、という真剣な相談を、塾の教え子にされたのが最初のきっかけでした。

その子にとっての”認められる”は、例えば「勉強頑張ったね!」の一言かもしれないし、何か物やお金という目で見える報酬のようなものなのかもしれない。その子の親にとっての”認める”は数年先に「よくやった!」と伝えることなのかもしれないし、精一杯の笑顔なのかもしれない。

”認める” ”認められる”の関係性は、簡潔なようでとても深いものだと思いました。時に双方のその関係は行き違うかもしれないし、何を自分がその時に求めているか、求められているかを明確にしないとなかなか本質は見えてこないのではないでしょうか。

 

”認める” ”認められる” で一番重要なこと

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正直高校生の終わりまでは、それなりに学校や家庭で「認められている」という漠然とした感情があったりもしたのであまり深く考えてきませんでした。しかし大学に入ると、本当に多くの人との出会いがあってそういう方々との出会いを通じて、「もっと認められたい。」「これは本当は認められてないのではないだろうか。」などといった感情が生まれてきました。

つまり”認める”、”認められる”ということ自体が相対的なものであり、でもある意味でそれが達成できたかどうかを判断するのは自分なんだって気づきました。

例えば、10人の従業員の中で突出して素晴らしい人がいて、部長が「お前が一番この中で期待の星だ。」と言ったとします。これは相対的に周りと比較した結果の言葉であるし、それと同時にその言葉自体を”認められた”と解釈するのは言われた従業員自身です。

認められているのか、認められていないのか。認められたいのか、認められなくていいのか。きっとそれは周りと比較してしまう相対的な感情から生まれやすいことかもしれませんが、それでも最終的にどう判断するのかは自分自身なんです。相対的な中にしっかり見る”自分”問いう存在が何よりも重要なのではないでしょうか。

 

他人ではなく”自分が”自分を認めてあげること

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「誰かに認めてほしい。」という感情って、実は自分が自分を認めてあげられていない時に起こりやすいと思うんです。もちろん自分の尊敬する人や、認めてもらいたい人に認めてもらうのは大事ですしベストなものだとは思いますが、まずは自分で自分を認めてあげないと、その先ってなかなか移っていかないのではないでしょうか。

じゃあ自分を認めるためにはどうしたら良いのか?それは絶えず挑戦し続けることと、なるべく多く自分のことを振り返る機会を作ることが必要になってくると思います。

 

最後に

久しぶりに文章を書くと、なかなか思うように綴れないものですね(笑)

果たして僕は今の自分を認められているのかな?今日もたくさん笑って、一生懸命頑張って、生き抜きたいと思います。

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